雨竜消防団の歴史

雨竜消防団の歴史
明治22年の組合農場に端を発した雨竜の地も、明治末期ともなると家屋も本建築を増し家の財産価値が高まるとともに、家族に老人、子供が増加してくれるに従い焼死者が発生するなど、住民の間より消防組織編成の機運が盛り上がった。
明治44年4月1日、かねて継続事業として企画中の私設消防組設立委員会の会合にて、火災予防組合および消防組を組織することが決定され、組員40名が選抜された。ここに雨竜消防の歴史が始まったのである。
これ以前には中島青年会による私設消防組の活動もあったようであるが、明らかな記録が無いため、市街地区の消防組織の編成をもって雨竜消防の始祖とするものである。初期の消防組織は住民の相互扶助の精神で私設として設立され、機材の調達なども住民負担として直接地域に降り掛かり、その資金調達組織として「火災予防組合」、さらに直接消火活動に当たる者として「消防組」が組織されたものである。
大正期には、第五部(今の16、17区)第二部(今の8,9,10,11区)などでも相次いで火防会、救護会が結成された、各地区ごとの消防体制が整備されていった。
昭和に入り、それまで竜吐水、腕用ポンプによる消火方法しかなかった雨竜に、初のガソリンポンプ(手引き)が雨竜村火災予防組合に入り、機械近代化への道を踏み出した。
懸案であった公設化も昭和5年2月26日、雨竜村火災予防組合が改組されて公設雨竜村消防組が設置され、道庁の許可を受けて発足した。初代組頭は上田権太、消防手45名で組織された。
昭和10年8月28日追分が中心となって周辺の中島火災予防組合、面白内救護組合、第5区火防会、洲本火防会が相談し、私設追分火防組合が組織された。機械は各組合が所有されていた手押しポンプ3台のみであったが、翌11月9日に森田式ガソリンポンプ10馬力を購入し、追分地区にも機械力が導入されることになった。 同年11月29日には追分消防組と改称し、消火体制の充実が期待された。
昭和13年6月19日、今でも語り継がれる雨竜の大火が発生した。風呂煙突からの飛び火が隣家の運送店の屋根に燃え移り出火、折からの北西15メートルの強風にあおられ、市街地全域が火の海に化した。近隣9町村からポンプ車20台と消防隊が駆け付け、消火活動を行ったが、2時間を経てようやく鎮火、焼失戸数57戸、罹災者数308人の大惨事となったのである。
この大火を受けて町内では消防力の増強が叫ばれ、翌14年8月雨竜に初の消防ポンプ自動車(フォードロータリーポンプV8)が導入されることになった。
日華事変の拡大に伴い、防空体制の強化が国策として行われたのが警防団令である。昭和14年4月1日、雨竜、追分両消防組が統合され、雨竜村警防団が発足し、消防体制の充実とともに、空襲に備えた体制が取られるようになった。これは終戦後、昭和23年の消防組織法の施行なで続けられた。
終戦直後の昭和23年、自冶体消防としての組織を整える消防組織法が施行され、それまで警察の管轄下にあった消防が、名実ともに住民のための消防として生まれ変わった。当時、雨竜、追分両消防団が再発足するとともに、旧2区消防組も私設ではあったが再び活動を開始している。
その後、機構改革、私設消防組の統廃合を繰り返しながらも、地域の安全を守る消防として活躍してきたが、昭和47年4月1日、消防装備の近代化、常備職員の増強、広域応援体制の整備、救急活動の正式化を目指し、滝川地区広域消防事務組合が、雨竜町、滝川市、新十津川町の1市2町を併せて発足された。
同時に消防団も広域体制下におかれ、より強力な資機材の整備、または近代化が急速にすすめられ、同時に団員の質の向上にもめざましいものが見られた。
消防後援会
一方、奉仕の精神で活動する消防団員を地域ぐるみで応援する消防後援組織がある。初期の私設消防組の時代には住民の相互扶助組織として火災予防組合の名称で、機械器具の調達資金、運営母体として名実ともに住民の自発的な組織として機能していた。公設後となれば、機材の購入、出動手当、災害補償などは当局の管轄となり、後援会組織は組員の福利厚生事業へ活動が移っていく。
広域消防発足の翌48年4月1日、それまで各地域独自に後援活動を行っていた各後援会も町内一元化が計られ統合された。統合後の消防後援会は、全町民が等しく会員となり、団員の福利厚生、研修補助、演習出初め式等の応援など、団員の士気高揚に重要な役割を担っている。
雨竜町婦人防火クラブ
昭和56年6月16日、家庭内からの火災防止目指して雨竜町婦人防火クラブが結成され、地道な火災予防広報活動、救急講習の開催など現在もめざましい活動を行いながら全町の加入を目指して活動を展開している。特に昭和60年10月に日本消防協会初の試みとして行われた第1回全国婦人消防操法大会に北海道代表として参加、見事優良賞の栄冠に輝くなど、町民の火災予防意識の高揚に重要な位置を担っている。
雨竜消防80年史より