赤平消防団の歴史

 
赤平消防団の歴史

 

1 赤平消防の生立ち

 

 明治27年、勅令第15号をもって消防規則が制定され消防組の全国統一が図られたが、赤平における消防組創設はそれより遅く大正時代に入ってからのことである。 
 開墾を進める際、野火などの火災に対して消火の手だてを持たない開拓者にとって、火に対する恐怖から常に火気には注意を怠らなかったが、明治33年7月、現歌志内市街地のほとんどである百数十戸を消失する大火の苦い教訓などから、明治35年4月非常時に際し部落民にいち早く知らせるため上赤平(現赤平地区)に火の見櫓を建て警鐘として板木を取り付けたのが今日の赤平消防施設の始まりとされている。

 

2 私設消防組時代 

 

 明治44年5月17日、付近の山の様子が一変する山火事があったことなどから、大正5年、上平岸(現平岸)に組頭今井時次郎、小頭山田喜太郎による私設消防組が創設され、梅野炭鉱(社長 梅野留)より、半天、股引、頭巾(頭巾に梅の花びらが印として入っていた)等の寄贈を受けた。 
 
明治43年11月、庁令第109号「火災予防組合規則」を交付し、住民が自治的、自発的に隣保共同して火災予防の実行を期すことを目的に、組合設定を奨励したこともあり、鉄道開通後の上赤平駅付近(18線)に人家が立ち並び始めたため、上赤平では、大正6年、火災予防組合を設立し、火の見櫓も18線(現錦町1丁目15番地)に移設、半鐘に替えて非常に備えた。また、同年5月には下平岸(現茂尻)に私設消防組が設立された。この頃、百戸部落では従来の部長、評議員、小走、宮総代などの役員のほかに新たに「火防衛生兼務」という役員を設けており、下平岸でも火防衛生組合が設立されていた。
 
大正7年、上平岸私設消防組に梅野炭鉱よりドイツ型1号腕用ポンプ1台が寄贈され装備が充実された。同年、大倉茂尻炭礦が開鉱された後、人口増加に伴い一円の火災予防のため、大正9年3月に茂尻火災予防組合(組合長 池下健治)が設立され、翌10年に上赤平火災予防組合では、札幌二二商会よりドイツ型2号ポンプ1台のほか纏、組旗、長鳶、その他消防器具に必要な品々を求め、下平岸消防組にもドイツ型腕用ポンプ1台が備えられた。また、同年4月には上赤平に私設消防組、9月には大倉茂尻炭礦に義勇消防隊が創設された。

 

 3 公設消防組時代

 

演習風景

演習風景

 大正11年4月1日、赤平村が歌志内村から分村独立したため、6月23日、公設赤平消防組の認可を受け、9月1日、上赤平1部、下平岸2部、上平岸3部とする3部制を編成し、初代組長として細野謙が就任、組頭1名、部長3名、小頭6名、消防手96名の合計106名、装備はドイツ型1号腕用ポンプ各1台をもって発足した。なお、上平岸消防組では、営林署より原木払下げを受け団員奉仕で機具置き場を新築した。
 大正
12年6月3日、公設赤平消防組第1回演習が赤平小学校校庭において、瀧川警察署長 佐藤敬之助が司令として臨場し華々しく挙行された。
 
大正14年5月14日、茂尻炭礦附近で山火事が発生し、赤平消防各組は消火応援のため出動、5月22日、上平岸において行われた赤平消防組春季演習で茂尻炭礦事務長より消火応援の謝辞があり、いったん消火されたかにみえた山火事は6月2日再度発生、3日にも出動するなど連日消火作業にあたった。これら赤平村公有林火災で尽力した功績により、同年12月17日、北海道庁拓殖部長より表彰を受けた。また、昭和3年5月には北海道庁警察部長より消防各組に金馬簾一条の使用認可を受け、6月24日に金馬簾伝達式が挙行された。
 その頃、相次ぐ火災から下平岸2部では市街地に火の見櫓を建て、防火用として千曲川より元町に至る幅3尺の水路を設け非常に備えた。

 

 4 防護・警防団時代

 

警防団

警防団第二分団

 満州事変に続く日華事変の全面拡大と国内の民間防空体制の強化を目的に、昭和12年4月5日に防空法が公布され、6月1日施行となり、これに基づき道庁は同年10月、防護団設置を急がせたことから、豊里炭鉱の前身である昭和肥料株式会社では、これより前、昭和11年、労務課内に自衛消火班を設け、翌12年には防護団に組織替えを行うなどの体制確立を図った。
 戦争の長期化に伴い、昭和14年1月25日、勅令第20号をもって警防団例が公布され、従来の消防組と防護団を統合、一元的指揮の元に防災、防空、その他全般的警防の完璧を期すことになったことにより、
赤平村では、同年3月21日開催の第2回村会議案第1号として「警防団設置の件」を上程し、1団、7分団、総員342名の警防団が組織された。初代警防団長に河崎八郎(村長)が就任、部として消防部、警報部、灯火管制部があり、村民は、警防演習のために出動させられ、防空壕の避難訓練から焼夷弾の消火、火たたき、バケツの手送り訓練など、軍民一体の防空演習に参加したり、高い家屋の屋根には対空監視哨を設置して警戒に当たるなど、かつて試みなかった戦時訓練が警防団の指導によって行われた。

 

 5 自治体消防(消防団)への移行

 

 昭和22年4月、勅令185号をもって消防団令が公布され、翌23年3月、消防組織法の施行により警察制度から分離された。また、同年8月、消防法の施行により防災、防火活動が盛り込まれた。これら一連の法律によって消防制度は根本的に改革され、名実ともに消防体制は市町村に移管、完全な自治体消防が実現したのである。 また、これら法令では組織と責任を規定し、消防機関は住民の生命、身体、財産を火災から保護し、水害、火災及び地震などの災害による被害を最小限に食い止めることを義務付け、市町村長の命令系統に従って活動することを明らかにした。
 これを受けて、昭和23年3月7日、赤平町消防団が発足し、初代団長に望月松雄が就任、1団、7分団、団員344名が一体となって新しい任務に当たることとなった。

 昭和25年11月19日、町役場の火災発生以降、消防ポンプ自動車と常備員を増強し、昭和28年には分団一斉指令電話を設置、翌29年7月1日、市制施行に伴って赤平市消防団と改称、さらに翌30年には水道の敷設による消火栓の新設、昭和36年には消防無線の配備など消防力の充実強化を図っていった。

 

 6 赤平消防の現況

 

女性分団発足式

女性分団発足式

 昭和30年代後半より石炭産業の衰退に伴う人口減で、炭鉱分団の解団など大きな環境の変化の中、昭和40年6月には赤平市消防団を1団7分団制から1団5分団制とし、第1分団を住友分団、第2分団を赤平分団、第3分団を豊里分団、第4分団を茂尻分団、第5分団を平岸分団に組織替えを行った。 また、昭和43年6月には豊里分遣所庁舎新築(後の文京分遣所)、茂尻分遣所を出張所にし茂尻出張所庁舎新築、翌44年6月、消防本部庁舎増築(車庫、仮眠室、分団室 計126平方メートル)、昭和46年11月、平岸分遣所新築など庁舎の移転新築、消防装備の充実強化、消防水利の整備拡充、広域消防への協力強化と主体的な体制強化に努めた。さらに、平成元年3月、住友分団が解団し、4分団(赤平、茂尻、文京、平岸)となった。 
 平成4年3月には女性消防団員を8名任命し消防団本部に配置、一人暮らしの高齢者宅や老人福祉施設への訪問、街頭防火広報を行うなど幅広く火災予防の普及啓発活動を展開している。さらに平成13年4月には消防団本部に分団長、部長を配置し、女性消防団員2名を増員、また、翌14年4月に副分団長を配置し消防団本部の増強を図った。

 
平成14年10月、赤平市消防団活性化総合計画により、消防団に配置している車両を消防団に任せ、各署所に分団の機関員として配置している職員を消防署に集約し消防署の初動体制を強化、併せて「自分達のまちは自分達で守る」という消防団本来の姿を具現し、団員の士気高揚を図ることを目的に、赤平分団及び茂尻分団が自立、翌15年10月には平岸分団及び文京分団が自立したことにより4分団全てが消防団による運用となり、出張所、各分遣所は分団詰所となった
 
平成26年4月には赤平市消防本部が消防広域化により、滝川地区広域消防事務組合へ加入、これにより消防団名称を赤平市消防団から赤平消防団に改称した。
 
平成27年4月には平成4年から高齢者宅や老人福祉施設訪問などの火災予防普及啓発を展開してきた女性消防団員の活動が認められ、消防団本部に所属していた女性消防団員が独立し女性分団を発足、赤平消防団として初めて女性の分団長を配置した。

(赤平市史より一部抜粋)

 

7 消防団組織及び装備等の変革

 

明治35年 4月   上赤平(現赤平地区)に上赤平消防組が創立される。 
大正 5年10月   上平岸(現平岸地区)に上平岸私設消防組が創立され、組頭に今井時次郎氏就任
 
   6年      上赤平火災予防組合、下平岸私設消防組合(現茂尻市街地区)が創立される。
 
   7年      上平岸私設消防組に梅野炭鉱より、ドイツ型1号腕用ポンプ1台の寄贈を受ける。
 
  10年 2月   上赤平火災予防組合にドイツ型2号腕用ポンプ1台を配備
 
      6月   上赤平に私設上赤平消防組が創立される。
 
     10月   茂尻炭鉱に茂尻火防組合が創立され、ドイツ型2号腕用ポンプ1台を配備

  11年 6月   公認赤平村消防組が認許
 
      9月   消防組を3部制とし、上赤平(現赤平地区)を1部、下平岸(現茂尻地区)を2部、上平岸
 
          (現平岸地区)を3部として、初代組頭に細野謙氏が就任。ドイツ型1号腕用ポンプ各1台を
 
          配備
 
  14年12月   赤平村公有林火災で消火に尽力した功績により、北海道庁拓殖部長より消防組が表彰状を
 
          受ける。
 
昭和 3年 5月   北海道庁警察部長より各部に金馬簾1条の使用認許を受ける。
 
   6年      消防組2部に手引ガソリンポンプを配備
 
   9年      消防組2部に駒沢久太郎氏より手引ガソリンポンプ1台、ホース20本の寄贈を受ける。
 
  10年 9月   茂尻炭鉱に私設義勇消防隊が組織される。
 
  11年      豊里昭和肥料株式会社で自衛消防班を組織、その後防護団に組織変えを行う。

      8月   消防組3部、平岸169番地に機械器具置場と団員集会所を新築
 
  13年 8月   赤間炭鉱に私設消防隊が創立され、機械器具置場を新築し、手引腕用ポンプを配備
 
  14年 4月   警防団の発令により赤平村消防組を赤平村警防団と組織替え7分団制とする。住友炭鉱を
 
          第1分団、赤平市街を第2分団、東海豊里炭鉱を第3分団、茂尻市街を第4分団、雄別茂尻炭
 
          鉱を第5分団、平岸市街を第6分団、北炭赤間炭鉱を第7分団とする。
 
           初代警防団長に河崎八郎氏が就任
 
  16年 1月   住友炭鉱に私設消防組(第1分団と併存)が創立され、腕用ポンプ1台を配備
 
      4月   第2分団に消防車を配備
 
  18年 2月   町制施行により、赤平町警防団と改名する。
 
  21年 3月   第2分団に常備員(機関員)1名を配置
 
      7月   豊里炭鉱に私設消防組(第3分団と併存)が創立され、手引ガソリンポンプ1台を配備
 
      8月   雄別茂尻炭鉱に私設保安消防隊が創立される。
 
     10月   第2分団に常備員1名増員、常備員2名体制となる。
 
  22年 2月   第4分団で茂尻元町に機械器具置場を新築

     10月   第4分団に消防車を配備し常備員1名を配置
 
  23年 3月   消防組織法の施行により警防団が廃止。自治体消防として赤平町消防団を設置、1団、7分
 
          団とする。
 
           初代消防団長 望月松雄氏 就任
 
      6月   第1分団に団員詰所を建設し消防車を配備
 
      6月   第2分団に消防車1台を増強し、第6分団に第4分団よりガソリンポンプ1台を移管
 
  24年 2月   第6分団にガソリンポンプを積載したトラックを配備
 
  25年 1月   第3分団、機械器具置場を新築。消防車(水槽付)を配備
 
      9月   第2分団3名、第4分団3名、第6分団1名、合計7名の常備員を配置
 
  26年10月   第7分団にトラックを改造した消防車を配備
 
  27年12月   第1分団に消防車を配備
 
  28年 7月   第2分団に消防車を配備
 
  29年 4月   第2分団3名、第4分団2名、第6分団1名、合計6名の常備員を配置
 
      7月   市制施行により、赤平市消防団と改名する。
 
  31年 8月   第6分団に消防車を配備
 
  32年 3月   赤平市消防団条例改正により団員定数300名となる。
 
      7月   第4分団及び第5分団に消防車各1台を配備
 
  33年 4月   第2分団8名、第4分団2名、第6分団2名、合計12名の常備員を配置
 
      8月   第2分団に消防車(水槽、放水塔付)を配備
 
  34年10月   第2分団10名、第4分団2名、第6分団3名、合計15名の常備員を配置
 
  35年 9月   第3分団に消防車を配備
 
  36年 2月   第2分団と第6分団の消防車に無線電話積載
 
      4月   赤平市消防団条例改正により団員定数250名となる。
 
      5月   第2代消防団長 佐々木金太郎氏 就任
 
  38年 3月   第7分団解団、消防車を市に移管し第2分団に配備。管轄区域を第2分団の管轄とする。
 
      8月   第5分団解団、消防車を市に移管し第4分団に配備。管轄区域を第4分団の管轄とする。
 
      8月   第5分団解団により、茂尻炭鉱自衛消防団が創立される。
 
      9月   赤平市消防団条例改正により団員定数200名となる。
 
  39年 1月   第3代消防団長 中川精作氏 就任
 
  40年 6月   赤平市消防団を1団7分団制から1団5分団制とし、第1分団を住友分団、第2分団を赤平分
 
          団、第3分団を豊里分団、第4分団を茂尻分団、第6分団を平岸分団とする。
 
  41年 9月   赤平市消防団条例改正により団員定数160名となる。
 
  42年 7月   豊里分団(市街分団)発足。職員1名増員、44名体制となる。昭和41年豊里炭鉱より移管
 
          の消防車を豊里分団に配備
 
  43年 2月   赤平市消防団が日本消防協会より竿頭綬を受賞する。
 
      3月   自治体消防制度20周年記念式典において、消防本部、消防団が消防庁長官より竿頭綬を受
 
          賞する。
  
  44年12月   昭和38年第5分団から茂尻分団に移管の消防車を消防署に配備替
 
     12月   赤平分団に可搬動力ポンプを配備
 
  45年 7月   住友赤平砿消防団(住友分団併設)が解団し、住友分団となる。
 
      8月   消防署住友分遣所を発足、住友炭鉱より消防車2台が市に移管され職員1名を配置
 
     10月   住友分団に消防車を配備
 
     11月   北海道定例表彰式において、赤平市消防団が北海道知事より竿頭綬を受賞する。
 
  46年 2月   赤平市消防団が優良消防団として日本消防協会より表彰旗を受賞する。
 
     11月   平岸分遣所庁舎老朽により字平岸125番地(現平岸新光町2丁目4番地)に新築移転
 
  47年11月   赤平市消防団条例改正により団員定数130名となる。
 
     12月   赤平分団に普通ポンプ自動車を配備
 
  49年 2月   赤平分団に消防ポンプ自動車を配備し、昭和47年購入の普通ポンプ自動車を平岸分団に配
          備
 
     12月   茂尻分団に消防ポンプ自動車を配備
 
  50年12月   消防署配備の消防ポンプ自動車(水槽付)を赤平分団に配備替
 
  52年11月   豊里分団に普通ポンプ自動車を配備
 
  54年 1月   赤平市消防団条例改正により副部長制を廃止。部長2名体制とする。
 
  55年 1月   第4代消防団長 菊島節男氏 就任
 
  57年 4月   豊里分団、豊里分遣所を文京分団、文京分遣所に名称変更
 
  58年 1月   赤平市消防団団旗を新規に制作し、入魂式を実施
 
  60年 4月   消防団の定員区分改正により副団長2名制とする。
 
  63年11月   赤平市消防団が北海道消防協会より竿頭綬を受賞する。
 
平成 元年 3月   平岸分団に消防ポンプ自動車を配備
 
      3月   住友分団解団、団員の一部は赤平分団へ移籍

     10月   赤平市消防団条例改正により団員定数110名となる。
 
     10月   茂尻分団に消防ポンプ自動車を配備
  
   2年 4月   第5代消防団長 田中太郎氏 就任
 
   3年 3月   元消防団長夫人 菊島美代子氏より赤平、茂尻、文京、平岸分団に分団旗を寄贈
 
      3月   消防本部、消防団が消防庁長官より表彰旗を受賞する。
 
     11月   赤平分団配備の消防ポンプ自動車を消防署に配備替
 
   4年 3月   女性消防団員8名を任命。消防団本部に配置
 
     12月   赤平分団に消防ポンプ自動車CD-Ⅱ型4WDを配備
 
   6年 4月   第6代消防団長 中村信男氏 就任
 
   8年 3月   文京分団に消防ポンプ自動車CD-Ⅱ型低床式4WDを配備
 
  10年 4月   第7代消防団長 孫崎稔氏 就任
 
  12年11月   第8代消防団長 鎌田恒彰氏 就任
 
  13年 4月   消防団機構改革により、団本部に分団長、部長を配置し、女性消防団員2名を増員
 
     11月   消防団活性化事業として、消防ホース、携帯無線機、空気呼吸器、防火衣及び指揮広報車
 
          を購入する。
 
  14年 4月   消防団機構改革により、団本部に副分団長を配置
 
     10月   消防団自立に伴い、赤平分団及び茂尻分団に業務移管
 
  15年10月   消防団自立に伴い、平岸分団及び文京分団に業務移管
 
     11月   消防団活性化総合整備事業によりサイレン遠隔吹鳴装置導入
 
  16年 3月   平岸分団詰所老朽により平岸新光町1丁目30番地4に新築移転
 
  19年 4月   第9代消防団長 吉成茂明氏 就任
 
  22年 1月   災害時職・団員召集メール(マ・メール)を導入
 
     12月   平岸分団に消防ポンプ自動車CD-Ⅰ型4WDを配備
 
  23年 9月   茂尻分団に消防ポンプ自動車CD-Ⅰ型4WDを配備
 
  24年10月   文京分団詰所を新築建替え
 
  26年 4月   滝川市、赤平市、芦別市、新十津川町、雨竜町で構成される滝川地区広域消防事務組合
 
          加入に伴い赤平消防団に改称する。
 
  27年 4月   第10代消防団長 渡邉忠司氏 就任
 
           団本部配置の女性消防団員が独立し、女性分団を発足 
      6月   消防団の装備の基準改正に伴い各分団に拡声器及び全団員に保安帽を配備

(消防年報より一部抜粋)